1創業〜画材店スタート〜

創業者「石井そよ」の娘「英子(ふさこ)」。
“池袋モンパルナス”と呼ばれたアトリエ村で、画材だけでなく額縁も扱うようになった。

1919年(大正8年)、ドイツでは「バウハウス」が創設された年、創業者石井そよは渋谷区に画材店「いづみや」を開店しました。
関東大震災から徐々に戦争へ向かう不安な社会情勢の中、当時、芸術家のアトリエ村があった池袋に場所を移し、貧乏ながらも芸術活動に精を出す画家たちに画材を提供し続け、店は次第に彼らの“たまり場”となっていきました。
戦後営業を再開、物資の少なかった時代に各方面から画材をかき集め、紙の輸入がまだ認められていなかった昭和23年、通産省に掛け合い、フランスのキャンソン社の木炭紙を輸入することに成功、美大生や画家のタマゴたちに提供したこともありました。

2デザインの時代〜ピースの記事、デザイン材料の輸入・セミナー〜

外国人講師による マーカー、パステルの講習会などが、度々開催された。

1952年(昭和27年)「日本のたばこ『ピース』の新しいパッケージデザインに、アメリカの『ラッキーストライク』を手がけた世界的なデザイナー、レイモンド・ローウィーが起用され、150万円(当時では破格、現在に換算すると1億円以上)のデザイン料が支払われる」という記事が新聞に掲載されました。
この事実に着目、「これからはデザインの時代が来る」という展望のもと、海外のデザインツールを研究し、輸入・開発・外販営業を開始しました。
「海外の新しいツールや材料を輸入し、セミナーなどを通じてその使い方や表現方法・テクニックを、日本のデザイン界に伝承していく」というスタイルが、このころできあがりました。

3デザインスコープ開発〜オリジナル機器の取り扱いとアフターフォロー〜

オリジナル機器の展示説明会の様子

1970年代、ロゴやタイトル文字は、欧文書体清刷集などから文字を選び、1文字ずつ印画紙に焼き付けて作っていました。
当時多くのデザイン事務所が外注していたこの「紙焼き」の工程を、低コストで自社内で作業するための機械「デザインスコープ」を開発しました。
「デザイナーのために本当によいツールを提供していくには、オリジナル製品を開発するしかない」という社内の強い思いが、この製品を誕生させたのです。
それまでは材料の安定供給を心がけていればよかったのですが、オリジナルのこの機器が大ヒットしたことにより、メンテナンスやアフターフォローの必要性が生まれ、ただモノを提供するのではなく、サポート体制をつくりお客様との接点をより密にしていく、現在の販売体制の基盤が形成されていきました。

4コピー機との出会い〜デザイナーのためのOA機器〜


はじめてデザイナー向けに作られたコピー機は、「キヤノンNP-200J」をベースにデザイナー向けの機能を加えた「グラフィックタイプ」。
進化を続けている。

当時コピー機といえば、オフィスOA化の旗手として急速に普及していましたが、デザインの仕事で使えるものではありませんでした。
そんな中、コピー機の即時性に着目、デザイナーのニーズに応えられる黒ベタ濃度を持ったキヤノン製のものをベース機として選定し、代理店契約を締結。特殊紙への定着などデザインに必要な機能を提案・付加して、デザイン専用コピー機という意味を持った「グラフィックタイプ」という機種を販売しました。
それは、この後白黒反転、変形、拡大機能などを搭載した「レーザーコピア」へと継承され、コピー機がデザインにとって欠かすことのできないツールとして定着していきました。
その後も、トナーを転写するカラーフィルムや、ポジフィルムの複写をする関連機器などを販売、新しいデザイン表現の手法を提案しました。

5コピックの誕生〜世界で愛用されるロングセラー製品〜



カラーコピーがなかった当時は、モノクロコピーの上から着色して、デザインや色の検討を行なっていた。

それまで絵の具が主流だった日本のデザインに、マーカーという道具が入ってきたのは昭和30年代でした。40年代以降、「スピードライマーカー」や「デザインアートマーカー」などが、工業デザインだけでなくグラフィックデザインにまで使われるようになってきました。

そして、コピー機がデザインで使われるようになった時代の求めに応じて登場してきたのが“トナーを溶かさないマーカー”「コピック」。コピー機で出力したものに着色する、というコンセプトで登場した製品でした。
その後、色数やバリエーションも増え、グッドデザイン賞も受賞、現在世界48ヵ国以上の方々に愛用されているロングライフデザイン製品に成長しています。

6Macintoshの登場〜デジタルデザインの革命〜



'80年代中盤、MacintoshによるCGや描画の提案を行なった展示会「Mac the Sketch」。

Macintoshの登場は、間違いなくデザイン業界に革命を起こしました。

「描いて」「切って」「貼って」というデザインワークが、「DTP(デスクトップパブリッシング)」や「CG」などのデジタルに徐々に置き換えられていきました。
取り扱いを始めた’80年代中盤頃は価格も高く、パフォーマンスもそれほど高くありませんでしたが、自分の思うイメージが画面上で何度も試行錯誤しながらシミュレーションでき、最終形まで自分の机上でコントロールできるという可能性に、多くのデザイナーが期待し注目しました。
慣れ親しんだ画材やデザイン用品が、機器やソフトウェアに移り変わっていく様はまさに革命でした。

それに伴って、お客様のニーズも変化し、トレーニング、出力・加工、保守・サポートといった新しいサービスや販売形態も誕生しました。

7「Too」へ社名変更〜70周年からCI活動へ〜




CI活動を開始してから数年後、さまざまな検討を重ね、「Too」に社名変更することが決定した。

1989年(平成元年)、「いづみや」は創業70周年をむかえました。

それを機に社内で「70周年記念事業委員会」が立ち上がり、やがて「CI委員会」へと発展し、時代に合わせた会社へと成長していくための本格的な「CI活動」が始まりました。コンピュータ化が進むデザイン業界に対応するため、さまざまな検討・議論を重ね、社内改革・サービスの見直し等を行ないました。

そして1992年(平成4年)6月、「株式会社いづみや」は「株式会社Too」に社名変更。過去に培った実績やノウハウを生かしつつ、移り変わる時代のニーズにお応えしていくステップとして、新しいスタートを切ったのです。

8デジタル化の推進〜DTP、ネットワーク、そして3DCG/映像分野へ〜



Macintoshとともに、Adobe、Quarkのソフトがグラフィックデザイン・DTPの歴史を変えた。

1990年代前半には、Adobe、Quarkの販売代理権を獲得、Macintoshとともに、DTP/グラフィックデザイン、印刷、出版のデジタル化を推進・バックアップしていきました。

さらにはインターネットの普及により需要が高まったネットワーク関連や、3DCG/映像関連の分野へも範囲を広げ、製品/サービスの取り扱いを拡充していきます。
ジャンルを問わず、すべてのクリエイターに最適なソリューションを提供する会社として、また、お客様のご要望に合わせて的確なアドバイスとコンサルティングができるシステムインテグレーターとして、総合的なサービス体制を整えていきました。

9オリジナル商品展開〜パソコンの普及とクリエイティブマインドの一般化〜



インクジェットプリンタの技術進歩と、低価格化により、パソコンによる「ものづくり」が一般化した。

パソコンの一般への普及が進むと、誰もが手軽に“ものづくり”をしやすい環境になり、個人でもデザインやクリエイティブを楽しむようになります。
こうしたクリエイティブマインドの一般化に対応するため、それまでプロの業務用途に提供していたデザインツールを、個人向けにも開発・販売するようになりました。

さまざまな特長をもったユニークなプリンタ出力用紙「インクジェットマテリアル」の発売、また従来プロのイラストレーターに愛用されていたマーカー「コピック」を、コミックやスケッチなどの用途に商品提案し、さらに多くの方々に支持されるようになるなど、コンシューマーへのビジネス展開も積極的に行なっています。

10 ISMS取得〜情報セキュリティの取り組み〜

デジタル化のメリットを与えられる反面、データの安全性が問われるようになってきた時代背景の中、情報の取り扱いはクリエイティブワークをサポートする会社として、根幹に関わる重要な事項になりました。

そのため「情報セキュリティ」についても取り組みを強化し、2005年(平成17年)、情報セキュリティ規格「BS7799」および「ISMS適合性評価制度」の認証を取得しました。さらには2007年(平成19年)1月、国際規格「ISO27001」への移行も完了し、情報セキュリティマネジメントの運営に積極的に取り組んでいます。
今後も、お客様との信頼関係をより強固に構築できるような企業活動を展開していきます。

112012年12月 本社を東京都港区虎ノ門に移転

4代目となる石井剛太率いる新体制のもと、単なる移転ではなく社員の意識改革やデザイン業界に貢献できるような、あらたなチャレンジを行ってまいります。

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