あにつく2025レポート | 絵コンテセッション第7弾(小松田 大全 × 黄瀬 和哉)

2025年9月20日(土)に開催された「あにつく2025」より、「絵コンテセッション」のイベント内容をご紹介します。

絵コンテセッション 会場風景01

セッション概要

TVアニメ『LAZARUS ラザロ』における3DCG制作の実例を通じて、アニメーション制作におけるデジタル技術の活用や、現場での挑戦・工夫についてご紹介いただきました。

【主催】株式会社Too
【登壇者】小松田 大全 氏
     黄瀬 和哉 氏
     モデレーター:株式会社サンジゲン 瓶子 修一 氏


小松田大全 黄瀬和哉 瓶子修一

登壇者紹介

絵コンテセッション01

小松田:
アニメーター兼アニメーション監督の小松田です。よろしくお願いいたします。

絵コンテセッション02

黄瀬:
このたびプロダクション・アイジーを定年退職しました黄瀬と申します。よろしくお願いします。

瓶子:
サンジゲンの瓶子と申します。本題に入る前に、まず小松田さんから、今回黄瀬さんにオファーした理由を教えていただけますか。

小松田:
今回で「絵コンテセッション」は7回目になります。あにつく自体が今年で11年目という中で、7年ほど続いている企画です。絵コンテを軸にゲストの方と話すという趣旨の講座なので、これまでも主にアニメーション監督としてのご経験がある方にお声がけしてきました。

正直なところ、知り合いを順番に頼っている状況でもありまして、その流れで今年は黄瀬さんにお願いしました。

理由としては、私が最初に業界に入ったのが『プロダクション・アイジー(以下、アイジー)』で、第二スタジオに配属されたのですが、そのときの室長が黄瀬さんだったんです。入社は1998年ですから、そこからずっと師匠のような存在でして、久しぶりにお話ししたいという思いもあり、今回お願いしました。

瓶子:
黄瀬さんの方は、小松田さんに対して覚えている最初の印象やエピソードはありますか。

黄瀬:
とりあえず「入社試験をすっ飛ばして入ってきた人」という記憶しかないですね。

小松田:
もう時効なので言ってしまいますが、当時私はアニメ関係会社を何社か受けたものの受からず、1年間ぷらぷらしていました。そんな折、とあるソニー系ビデオメーカーの社長さんに「アニメ業界に入りたいんだよね?」と聞かれ、「入りたいです」と答えたら、「じゃあアイジーに入れるようにしておくから」と言われました。

専門学校を出ていないかどうか聞かれたので、大学は出たが絵はほとんど描けないことを伝えると、「じゃあ石川さんに監督を一人つけてもらって教えてもらいなさい」と、そういう流れでした。

秋頃にアイジーへ行くと、北久保弘之監督から「これから1ヶ月間あなたの面倒を見ることになりました」と言われ、その時期に制作中だった『BLOOD THE LAST VAMPIRE』のPVを、まさに黄瀬さんたちが作っている部屋に席を置かせてもらうことになりました。

つまり、業界の新人ですらない私が、いきなり最前線の現場に席を置かせてもらい、北久保さんに1ヶ月動画を教えていただくという、本当にあり得ないような状況でした。私は小学生の頃からアニメマニアで、黄瀬さんのお名前はずっと作品で拝見していたので、「憧れのアニメーターがいる部屋に突然入れる」という事実に、かなり感動していました。

初めてご挨拶したときに「いつも見ています」と言ったら、「どれを?最近あまり自分の仕事は表に出てないけど」と返されたのが記憶に残っています。翌春には第二スタジオで正式に採用していただき、本当に幸せな業界入りだったと今でも思っています。

絵コンテセッション 会場風景02

目次

絵コンテセッション03

瓶子:
改めまして、本日はこの目次に沿って進めていきます。

思い出を語ろう

瓶子:
「思い出を語ろう」ということで、まずはその前に私の個人的な話をしていきます。私はアニメのエンドクレジットマニアで、作品本編はあまり見ないのに、エンドクレジットの時間になると「なるほど、制作が4人もいるのか」などと楽しむタイプの人間です。

絵コンテセッション104

瓶子:
こちらは私の友人が運営しているサイトなのですが、今日はこれを見ながら、黄瀬さんの生い立ちを一緒に振り返っていこうと思います。Wikipediaで拝見した限りでは、「最初は学校に入ったものの4日でやめた」という記述があったのですが、そのあたりの真相を伺ってもよろしいでしょうか。

黄瀬:
真相はそのままで、本当に4日しか通っていません。当時は大阪に住んでいて、どうやったらアニメーターになれるのかも分からず、とりあえず専門学校へ入れば窓口がつかめるだろうと思いました。ところが最初の授業でいきなりレタリングをやらされて、「ここでは自分のやりたいことはできない」と感じて辞めました。

瓶子:
動画の仕事については、専門学校に入る前から何となく知っていたのですか?

黄瀬:
仲間内でペーパーアニメを作ったりしていたので、ある程度は分かっていました。ちょうど辞めるかどうか迷っていた時期に、アニメージュで有限会社アニメアールの記事を見つけて、「大阪にアニメを作っているスタジオがある」と知りました。そこで、当時の編集長に「教えてください」とはがきを出しました。

返事が来たのには本当に驚きましたが、電話番号が書かれていなかったため、住所を頼りに直接訪ねました。働きたいことを伝えたら、「今日は日曜だから、明日おいで」と言われました。

瓶子:
最初はアニメアールに勤めていたんですね。動画の期間はどのくらいでしたか?

黄瀬:
動画は多分半年ほどしかやっていません。『キャプテン翼』の頃にはもう原画を始めていました。

瓶子:
ちなみに小松田さんの動画期間はどれくらいでしたか?

小松田:
私はアイジーで4年くらいやっていました。原画試験は7回目くらいで受かった感じです。半年に1回しか試験がなかったので、落ちすぎてなかなか原画になれませんでした。

瓶子:
アニメアールから第二スタジオが独立してスタジオ・ムーになりましたよね。東京に出られたタイミングというのは、どの作品の頃でしょう。

黄瀬:
『パトレイバー』のOVAや『ジリオン』のあたりです。上がりが思うように出ず、東京に泊まり込みで仕事をすることが増えた頃で、「もう大阪にいないで、こっちに来い」という流れになりました。

瓶子:
このあたりにパトレイバーがありますが、小松田さんは気になる作品はありますか。

小松田:
私が最初に黄瀬さんの名前をクレジットで認識したのはジリオンあたりです。特に『サムライトルーパー』が好きだったので、その頃の印象が強いです。

アニメアールさんはサンライズ作品にもローテでよく入っていました。『ボトムズ』など、1983年あたりの作品を見返すと4本に1本はアニメアールで、『パーフェクトソルジャー』の回が特に好きでした。繰り返し見ているうちにエンドクレジットも自然と覚えてしまって、そこに沖浦さんの名前があった記憶があります。

当時はスタッフの数も今よりずっと少なくて、動画だった人が次のクールで原画を担当していたりと、エンドクレジットでそのあたりを見るのが楽しみの一つでもありました。自分としては、黄瀬さんの名前を最初に認識したのはトルーパーだった記憶があります。

瓶子:
驚くのは、劇場版パトレイバー1のあとのパトレイバー②2までの間に、ものすごい数の作品を手がけていることなんです。僕らは『エヴァンゲリオン』を作っていた側なので、序・破と続けてやっていた印象がありますが、それでもずっとエヴァばかりという感じがありました。

その点、パトレイバー1から2の間に、これほど大量の仕事をされていたのは意外でした。制作期間はⅠとⅡでどれくらいだったんですか?

黄瀬:
実際に作っていた期間は、パトレイバー1が原画で半年ほどで、2は一年ほどだと思います。

瓶子:
今の制作常識からすると、考えられないですね。

小松田:
でも「カリオストロの城」は、確か4ヶ月くらいだった記憶があります。

瓶子:
ここで、今回のために購入した画集をいくつかスキャンしてきました。劇場版のエヴァンゲリオン、いわゆる旧劇場版です。小松田さん、このあたりで印象に残っていることはありますか。

小松田:
時系列でお話しすると、まずパトレイバーは劇場版より前にOVAがあり、黄瀬さんが作画監督をされていたのが1話、3話、5話でした。その頃からすでに黄瀬さんの絵柄が強く印象に残っていました。

そこから劇場版の第1作になった際、「東洋人の顔を描くことへのこだわり」が特に印象的でした。一般的に、漫画やアニメーションのキャラクターデザインでは、主人公の女の子は目が大きくて首が細いことが多く、私も学生の頃はそうした描き方が当然だと思っていました。たとえば『うる星やつら』のラムちゃんなどが典型的で、描くときはまず目をどう大きく描くかを考え、顎を描いたあとに細い首を入れるのが当たり前でした。

ところが、パトレイバー1を初めて見た時、主人公である泉の目のサイズのバランスや、顎のすぐ下にしっかり太めの首のラインが来る造形に触れて、とても新鮮で驚きを覚えました。

絵コンテセッション105

小松田:
それが「リアルだ」と自分が感じたのかどうかははっきりしないのですが、少なくともそれまで見てきたアニメーションの表現とはまったく違うものだと直感的に思いました。さらにパトレイバー2を見た時には、その方向性がもう一段階深く踏み込まれていて、記号的なキャラクター表現ではなく、人物としての存在感を重視した描き方に変わっていたことに驚かされました。

絵コンテセッション106

小松田:
パトレイバー2のビデオパッケージが出たあと、レンタルショップで借りて友人と一緒に見たことがあります。私は大学生で、その時に友人から言われたのが「これは本当にアニメなのか」という言葉でした。友人の目には実写映像とアニメが混ざっているように見えたらしく、どうしてこんな画面になるのかと何度も質問されました。私が「これは全部手で描いたアニメーションだよ」と説明しても、友人は「本当に?」という反応で、あまり腑に落ちていない様子でした。

キャラクターについても、アニメには本来こういう絵柄は存在しないはずだと言われました。一般の視点から見ると、それほどまでにアニメ的な記号表現から離れた映像だったのだと感じて、そのとき初めて「なるほど」と思ったんです。

絵コンテセッション107

瓶子:
パトレイバーは1も2も非常に大人っぽい絵になっていますが、これは監督からのオファーだったのでしょうか。

黄瀬:
特にオファーがあったわけではありません。パトレイバー1の時は、とにかく「ノアをかわいく描け」と言われていたのに、「どうしてほうれい線のような影を入れるんだ」とよく指摘されました。物語の内容に合わせるには、漫画的な絵柄のままでは厳しいのではないかと思ったので、写実寄りになるかもしれないと伝えていたのは2の頃です。その方向性を見越して、高田さんも少し昔のタツノコ調のデザインに寄せて描いてくださっていたので、私としてもアレンジしやすかったです。

瓶子:
小松田さんは何か感想はありますか。

小松田:
私が業界に入るきっかけは、エヴァンゲリオンの第1話を見て大きな衝撃を受けたことでした。こういうアニメを作りたいと思ってアニメーターを目指し、練習を始めたんです。テレビシリーズの中でも、黄瀬さんが作画監督をされた13話「使徒侵入」は印象的で、黄瀬さんが作画監督に入るとキャラクターがシャープになる印象がありました。シャープと言っても単に線が細くなるという話ではなく、記号表現の中に観察したディテールが入ってくるような感覚がありました。

影のつけ方など、リツコさんの鼻の影が光源に対して自然に横へ落ちていたり、髪の房が額に落とす影がしっかり描かれていたり、そうした表現が黄瀬さんらしいと感じていました。観察に基づいた絵としてのリアルさを、テレビシリーズの段階から強く感じていました。

特に、冒頭でシンジくんが立ち尽くしているカットでは、前髪が顔に落とす影が濃く入っていて、目が見えないほどでした。それなのに髪の形自体はシンプルに整理されていて、影が顔に強く落ちることで、夏の日差しの中で人が立っているような雰囲気が表れていました。テレビシリーズとは明らかに異なるクオリティを冒頭から感じて、劇場で春エヴァを見たときには呆然とした記憶があります。終わらなかったことにも驚きました。

当時はスポーツ新聞に「エヴァンゲリオン完成せず」と掲載されていました。春に終わらないから夏に公開すると言われても、夏に完成しないのなら来年にすればいいのにと、1997年の私は思っていました。

瓶子:
この頃になると、私たちが参加したシーンでは、作家と監督が修正を重ねすぎて、最終的には元の絵の影しか残っていないようなことがよくありました。当時はアイジーさんが主体で作画をされていたので、そこまでの混乱はなかったのでしょうか。

黄瀬:
それは多分私と本田くんだけが修正していただけで、本田くんがメカやエヴァ本体を担当し、私はキャラクターその他をやっていただけでした。全体として混乱はありませんでした。

2人での共同参加作品

絵コンテセッション08

瓶子:
小松田さんと黄瀬さんのお二人が同じタイミングで参加された作品としては、『BLOOD THE LAST VAMPIRE』や『イノセンス』、それから『妄想代理人』などがあります。

小松田:
こんな立派な表まで作っていただいたのに恐縮なんですが、実際のところ私はただの弟子のような存在で、『イノセンス』で原画と書かれていても、当時は全然描けませんでした。芝居の意味すら理解できず、黄瀬さんに質問しに行ったことがあります。

具体的には、冒頭でガイノイドが警官を殺してしまい、そこにバトーがやってくるシーンです。ガイノイドが奥に立っていて、それを見つけたバトーが手前に向かって歩いてくる。画面でいうとかなり引いたロングサイズで、ガイノイド越しにバトーが手前に進んでくるカットの第二原画を担当しました。その中で、バトーが途中で首を上げる動きがあるのですが、一つ一つの動きの意味がまったく分からなかったんです。細かすぎて理解が追いつきませんでした。

そこで黄瀬さんに伺ったところ、「バトーの目はレンズなので、どこを見ているかが分かりにくい。だから一度顔を上げさせることで、ガイノイドの方を見たことが伝わるようにしている」という説明をいただきました。原画一つ一つの意味を、描いたご本人に聞かないと理解できないほどで、当時の私は原画にようやく慣れてきた程度で、技術の差は天と地ほどありました。黄瀬さんに追いつこうなどとは思いもせず、ただアニメーターの仕事のすごさを実感していた時期です。

瓶子:
黄瀬さんはいろいろなスタジオで、若手向けに作画塾のようなものをされているとよく耳にしますが、その点はいかがでしょうか。

黄瀬:
作画塾ではありません。社内にいる人たちは全員、学生ではなく個人事業主として働いているので、ゼミのような形式でお金も発生しないまま練習をさせるのは違うと考えています。そこで私が責任を持ってカット数やシーンを取り、それを若い人たちに経験してもらう形にしています。ちゃんと仕事として報酬も発生しています。

実際に手を動かして経験しないと、本当の意味で学べませんし、完成品がどんな仕上がりになるかを目にすることができます。教えるだけの練習用カットは、チェックされて終わってしまい、最終的にどういう映像になるのかが分かりません。

まずは実際に描いてみて、原画という仕事がどういうものかを知ってもらう。そこから不足している点を理解し、勉強を始めてもらう。それが一番良い形だと思っています。

瓶子:
小松田さんは塾生だったのでしょうか。

小松田:
原画試験に合格して原画になったわけですが、実際には、例えば黄瀬さんが『ヒヲウ戦記』で演出を担当されたとき、自分がその中で描いたカットが初めての原画だったと思います。着物を着た女の子のカットだったのですが、自分でも描けていないことが分かるし、どう描けばいいのかもまったく分からないまま提出していました。すると黄瀬さんが修正を入れてくださって、その修正をもとに原画として清書するという形で仕事をしていました。ただ、どう勉強すれば黄瀬さんのような絵が描けるようになるのか見当もつかないほどで、技術の差は圧倒的でした。

当時のアイジーは採用の段階から相当レベルの高い人を求めていたと思いますが、自分の同期や一、二年上の先輩には、本当に上手い方が揃っていました。しかも、その先輩たちですら「追いつけない」と言っている人たちが劇場作品を作っていた時期で、人狼などのプロダクション・アイジーの作品がまさにその頃です。

自分がかつて憧れていた人たちの仕事が目の前で行われ、その技術力に触れるたびに、これは“技術”という言葉だけでは表現しきれないすごさだと、動画を描きながら実感していました。特にアニメーターになってからは、原画という仕事がゼロからデッサンを含め絵を組み立てるものであることを身をもって知りました。その難しさに、最初の数年間は本当に苦しめられました。

黄瀬さんの作品と変遷

絵コンテセッション09

引用元:アニメにおけるリアルとは『黄瀬和哉 アニメーション画集』と『メイドインアビス』https://mediag.bunka.go.jp/article/article-14961/

瓶子:
今回はネットに掲載された記事からの引用になります。画集が発売されたタイミングで行われたインタビューのまとめを、この先少し引用させていただきます。

押井守と黄瀬和哉

絵コンテセッション10

瓶子:
このインタビューでは、押井さんの作品に参加することになり、特に『パトレイバー』のレイアウトシステムに関わるようになったことで、カメラレンズの画角を反映した遠近法やパースを正確に画面へ反映させることが求められるようになった、という話が紹介されています。その際、黄瀬さんが「面倒くさかった」と語られていた部分です。

絵コンテセッション11

瓶子:
その後、数年空いて『パトレイバー2』や『攻殻機動隊』などに参加される中でも、同様にレンズを通したリアリティへのこだわりが求められたという記述があります。こうした流れから、多くのアニメファンが「黄瀬さんはリアルな絵を描く人」という印象を強く持つようになったのだと思います。

絵コンテセッション12

瓶子:
この記事ではその例として、押井さんの絵コンテと、実際のレイアウトが並べて紹介されていました。この点について、小松田さんはどのように感じますか。

小松田:
先ほどの黄瀬さんのお話にもあったように、押井さんの作品が求めるリアリティに合わせて絵を寄せていくことで、パトレイバー1とパトレイバー2の絵柄になっていったという背景はあります。ただ、私が最大の障壁だと思うのは、実は押井さん自身の絵コンテです。押井さんのコンテは、非常にデフォルメが効いた、どちらかといえばギャグマンガのような絵で描かれています。

しかし、押井さんが作品に求めているのは説得力です。パトレイバーであれば、日本が戦争状態に巻き込まれていくという状況に見合ったキャラクターやレイアウトが必要です。にもかかわらず、コンテに描かれている絵はその方向とまったく逆のベクトルに向かっているように見えます。

そのコンテを受けて打ち合わせを行い、押井さん自身から「リアリティのある絵にしたい」という説明を受けることで、レイアウトを切り替えるという流れだったのでしょうか。

黄瀬:
そういうわけではありません。私たちが原画を始めた頃は、コンテの絵が上手い人はほとんどいませんでした。打ち合わせで、「このキャラクターがここに立っていて、この方向からカメラが来ています」、と説明されるので、それに沿って描けば自然とコンテの絵とは違うものになります。

コンテに描いてあるのは“何を求めているか”であって、絵そのものをそのまま描くという意味ではありません。今はコンテを描く人の絵が上手く、画面として成立してしまうので「そのまま描けばいいのか」という迷いが生まれますが、それはまた別の問題です。

絵コンテセッション13

小松田: 今はどの作品でも、コンテがきれいな絵で描かれることが多いので、アニメーターもコンテから外れないように描くことが当たり前になっていますね。

黄瀬:
コンテ自体が間違った空間を描いていれば、それは間違いです。カットの内容や舞台の位置、カメラの向き、その演出意図を咀嚼してレイアウトを作る必要があります。上手いコンテであっても、そのまま描けば良いというわけではありません。もちろん、そのまま使えるコンテもありますが、多くの場合はそうではありません。何を求められているのかを考えるべきです。

ただ、今は時間がなくて「考えなくていいからコンテのままで描いてほしい」という現場も多いです。その結果、アニメーターが思考停止に陥ってしまうこともあります。テレビシリーズなどでは特にそうなりがちです。演出側も考える時間を取れず、常にスケジュールに追われているのだと思います。

絵コンテセッション14

瓶子:
パトレイバー2のレイアウトなどを見ると、若いアニメーターに『METHODS』を配っている小松田さんはどのように感じますか。

小松田:
私はMETHODSを60~70冊ほど購入して、トリガーの若手などに「必要ならどうぞ」と渡しています。ただ最近は、業界の若者の机にはMETHODSやエヴァンゲリオンの原画集など、さまざまな資料が揃っていて、情報が飽和してしまっている印象があります。資料は持っているのに、仕事と結びつかないという状況が起きてしまっている気がします。

今は昔より制作期間が長くなったはずなのに、個人が考える余裕はむしろなくなっているように感じます。コンテに書かれたことだけをこなすのが普通になってしまい、逆転現象のようになっています。制作期間が伸びても、タイトル数が減らないことが大きな原因だと思います。これは今後もしばらく解消されないのではないかと考えています。

また、私が業界に入った頃との大きな違いとして、働き方改革の影響があります。大きなスタジオでは、土日の作業禁止や、一定時間になったら帰宅するように促されます。その結果、先輩と雑談する時間が持ちにくくなり、技術継承の面で厳しいなと感じています。

私が動画で入った頃は、一週間ほど経つと黄瀬さんに夕方連れて行かれ、そのまま飲みに行くことが続きました。新人歓迎かと思ったら、そのペースが1ヶ月ほど続きました。飲みの場では技術論を語ることは少なく、他愛ない話が中心でした。しかし、アニメの話が出てきた際には、その時に聞いた言葉が後になって自分の経験と結びつき、「あれはこういう意味だったのか」と理解できるようになるまでに5年、10年かかりました。

そうした“世間話の中で聞くアニメーションの話”が今思うと非常に貴重だったと思います。しかし今は、どのスタジオでも若手を飲みに誘うこと自体が難しく、先輩側も気軽に声をかけにくい環境になりました。これもまた難しさのひとつだと思います。

瓶子:
私も、コミュニケーションは質より量だと気づいた瞬間がありました。深刻な顔をして技術的な相談に来られると、受ける側も負担になります。しかし、普段から共通の趣味や好きなスポーツチームの話などで盛り上がっていれば、「すみません、仕事の話なんですが」と声をかけやすくなります。同じ回数質問されても印象が全然違います。

飲みに行けという話ではありませんが、日常の何気ないコミュニケーションが積み重なることで親密度が生まれ、踏み込んだ相談もしやすくなるのだと思います。

パトレイバー2 the movie

【予告編】『機動警察パトレイバー 劇場版』『機動警察パトレイバー2 the Movie』「劇場公開版」音声&4K版で全国リバイバル上映決定!【『機動警察パトレイバー2 the Movie』予告編】

瓶子:
昔の話にはなってしまうと思うのですが、黄瀬さんとしてはパトレイバー2でしんどかったシーンなどは覚えていますか。

黄瀬:
特に「しんどい」と感じたものはあまりありませんでした。ただ、単純に鳥の物量が大変でした。ラストもそうですし、途中でもやたらとカラスが出てくるので、とにかくその描写を要求され続けました。一人で水族館に行ったりもしていましたし、海辺なども含め、自分で足を運んで見ることが多かったですね。

一番困ったのは、当時はスマホがないので動画が簡単に撮れないことでした。フィルムカメラしかなく、うまく撮れたかどうかが現像するまでわからないので、資料集めが非常に難しかったです。特に動物関係の資料には苦労しました。

今であれば自分でスマホで動画を撮れますし、「ダーウィンが来た」などNHK系の番組をほぼ全部録画しているので、アーカイブから探せば大体のものは見つかります。多すぎて何があるか把握しきれないほどですが。

瓶子:
昔、鶴巻さんが「初原画を描く際、海の波が押し寄せて引いていく動きが、何コマで来て何コマで去るのかタイミングがわからなかった」と言っていたことがあります。自宅にあったビデオテープの中から海が映っているシーンを探し出して、スタジオにはビデオデッキがなかったので家でコマ送りして確認し、タイミングを忘れないように覚えて、そのままダッシュで会社に行ったと話していました。

押井さんとの仕事のリアル

絵コンテセッション15

瓶子:
一連の押井さんとの仕事における“リアルの追求”について、先ほど引用したインタビューでは、当時それが一種のムーブメントのようになっていたと語られています。つまり、レイアウトを作る際にカメラレンズの効果を前提とし、その画角を忠実に絵へ反映することで画面に消失点や歪みが発生し、それがリアリティだとされていったという流れです。

しかし、黄瀬さんは「本来自分の目で見えているものを書きたいのであれば、そうしたレンズ効果は必ずしも必要ではない」とお話しされていました。押井さんはパトレイバーや攻殻機動隊において“レンズを通したリアリティ”を作りたかったのであって、すべての作品にそれを適用すべきではない、とも語られていたと思います。あらためて、この点についてご説明をお願いできますか。

黄瀬:
説明というほどではありませんが、映画やドラマで私たちが見ている映像は、単焦点レンズを通した画面です。押井守作品の世界観に近いのは、まさにそういった“レンズ越しの視界”です。

ただ、普段の生活で私たちが見ている景色が単焦点の見え方をしているかというと、そうではありません。日常では両目で見ているので、レンズのように極端にパースがついたり、強い歪みが出たりはしません。自然な視界というのは、レンズで例えるなら少し望遠寄りの、ぼんやりとした、しかし必要な時には緩やかに焦点が合っていくような印象に近いと思います。

そう考えると、自然なものを描きたい場合は、レンズ効果を強く取り入れるよりも「人が両目で見ている視界」を意識した方が、結果として自然な絵になると考えています。

画作りが転換点

絵コンテセッション16

瓶子:
パトレイバーや攻殻機動隊で“リアル”を追求する作業を続けていた時期のことですが、先ほど松田さんも話に出されたように、BLOOD THE LAST VAMPIREに小松田さんが新人として入っていた一方で、黄瀬さんは寺田克也さんの絵をアニメーションとして成立させることに苦労されていたと、インタビューで語られていました。

その経験が転換点になった、という内容でしたが、あらためてそのあたりを説明していただけますか。

黄瀬:
どう言えばいいのか難しいのですが、同じものを見ていても、人によって捉え方が全く違うということがありますよね。寺田さんにとって人体はこう見えているのだということを知った、という感覚が近いです。

自分が日常的に見ている人体の見え方とはまったく違う捉え方をされていて、その違いに驚きましたし、寺田さんの見え方のほうが圧倒的に絵として魅力的でした。だからこそ、なんとかその感覚を自分の中に取り入れられないかと、必死に試行錯誤していました。

瓶子:
インタビューでは「最終的に描ける人は、最初から完成形に近いものが描ける」というアドバイスのもと、ボールペンで迷いなく描くようにしていた、とありました。これはどういう意味なのですか。

黄瀬:
寺田さんに「ラフってあまり描かれないですよね?」と聞いた時、「最終的に仕上がる絵が下書きをクリンナップしたものなら、下書きなしでも描けるはずだよ」と言われたんです。

私は「下書きなしで描くのは不安ではないですか?」と聞いたのですが、「別に大丈夫じゃない?」と普通に返されました。

寺田さんはライブドローイングの時でも、一発描きでどんどん絵を仕上げていきます。その姿を見ると、確かに説得力がありましたが、私には到底真似できないと思いました。下書きなしでは不安で仕方ありません。だからせめてもの練習として、ボールペンで下描きをして、消さずに描ききることだけは真似してみようと思った、ということです。

瓶子:
超人的な所作に見えたので意味がつかめなかったのですが、そういう背景があったのですね。

51:20~(埋め込み?)

Blood: The Last Vampire (2000) Trailer

瓶子:
BLOOD THE LAST VAMPIREの予告編があるので、少し見ていきます。小松田さん、何か思い出はありますか。

小松田:
寺田さんのイラストの持つ“線そのものの味”が、そのまま作品の質感として成立しているのが特徴で、本作品では原画の段階で線を太らせたり、わざと荒れた質感をノイズとして描き込んだりしていました。

それを動画で拾って、中割りとして成立させなければいけないので、線の強弱を再現するのが非常に大変でした。キャラクターであればまだよかったのですが、当時一番苦労したのは、小さいモブキャラが持っている傘の骨の線をどうトレースするかという点でした。動画検査の方から「仕事を見ていると、小松田くんの人間性がわかる」と言われ、傘の骨1本で大量のリテイクを受けたことは今でも忘れられません。

また当時、井上俊之さんが「寺田さんの絵を再現するために、寺田さんは耳の位置を少し下げて描く癖があるが、黄瀬さんがそれを徹底的に再現しようとしている」とおっしゃっていました。たとえばデイビッドの手がやや大きく描かれていたり、一般的な人体の平均から意図的に位置や大きさをずらして描くなど、寺田さんの“バランス”そのものを再現しようとしていたという話を聞き、とても興味深かったです。

この後、黄瀬さんがクロッキー帳に大量に手のクロッキーを描いている時期があり、「なぜ手ばかり描いているのですか」と聞いたところ、「少し手の大きいキャラを描きすぎたので、人間の手の平均的な大きさの感覚を取り戻したい」と答えていました。意図的にバランスを崩した絵を描いた後、その“補正”として本来の人体の感覚を取り戻す作業が必要なのだという話を聞き、納得しました。

瓶子:
原画が上手い人ほど“人間の手として正しく描いてしまう”し、耳の位置も人体の標準どおりに描いてしまいがちですよね。それを作画監督側であえて歪ませて、寺田さんの絵に近づけていくというのは、本来の作監の仕事そのものですね。

xxxHOLiCのキャラクターデザインと作画監督

絵コンテセッション17

瓶子:
そしてその後、『イノセンス』や『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』といった押井守監督の作品にも参加されますが、業界的に驚かれたのは『xxxHOLiC』でCLAMP先生のキャラクターデザインと作画監督を務められたことでした。リアル路線から一転して、極端に背の高いキャラクター造形など、まったく別の方向性になりました。このオファーはどのような経緯だったのでしょうか。

絵コンテセッション18

黄瀬:
具体的に何がきっかけだったのかは覚えていませんが、当時「翼」と「ホリック」で劇場作品を作る予定があり、「どちらをやりたい?」と聞かれたんです。影やハイライトが少なく、髪色もベタ塗りが多いからです。キラキラした絵は描きたくなかったので、ホリックを選びました。

攻殻機動隊 ARISEで初の総監督

絵コンテセッション19

瓶子:
そして『攻殻機動隊 ARISE』では初の総監督を務められました。インタビューでは「総監督だからイエスかノーか言えばよかった」と語られていましたが、実際にはキャラクターデザインも自ら担当されたと伺いました。キャストも一新される中で、緊張などはありましたか。

黄瀬:
緊張は特にありませんでした。というより、最初は「次にこういう仕事があるんだけど、聞いたらやることになるけど聞く?」と言われたんです。聞かないと後悔しそうだし、聞いても後悔しそうだと思いながら、好奇心に負けて「じゃあ聞きます、何ですか?」と言ったら攻殻機動隊だったので、聞かなければよかったと少し思いました。

「原作通りにやるならできます」と言ったのですが、「原作はない」と言われ、そこからずっと悩む日々でした。

絵コンテセッション20

『攻殻機動隊 ARISE』イベント用イラスト(左)、同ラフ。本書pp. 206-207

瓶子:
そして草薙素子の若い頃を描くことになりますが、こちらはいかがでしょうか。

黄瀬:
士郎正宗さんがいくつかプロットを書かれていて、その中に「胎児の頃から肉体を持っていない」という設定があったので、そこから始めれば新しいストーリーが作れると思いました。そこでかっこいい素子になる前の素子を書こうという方向になり、仲間が集まる物語にしようと大まかな筋を作りました。

若返った素子をどう見せるかという点では、少女にするわけにはいかないので悩みました。当時、前髪をぱっつんにした女優さんが多く、その髪型にしてみたら少し若返ったように感じたため、あのデザインになりました。

瓶子:
攻殻の別インタビューで押井さんも、「一定のバッシングは避けられないけれど、黄瀬さんのアプローチは面白かった」と評価されています。押井さんが恋愛に興味がないのに対し、黄瀬さんは違う方向の映画にしていて良かった、と。そうした自覚はありましたか。

黄瀬:
特にそういう意図はありませんでしたが、“完成された素子”ではできない物語になるだろうと思っていました。とにかく“失敗する素子”を描こうと話していて、その分不評もあったと思います。ただ、憧れる対象というより、共感できるキャラクターにしたかったという気持ちはありました。

瓶子:
インタビューを書いた人は「寺田さんの影響が残っている」とも言っていました。

黄瀬:
多分残っていると思います。目の描き方などにもその名残がありますし、「ブラッドのあとで絵が変わったね」と何度も言われました。

メイドインアビスでキャラクターデザイン

絵コンテセッション21

瓶子:
そしてその後、先ほどの『HOLiC』のような極端に高身長のキャラクターを担当されたあと、今度はスーパーデフォルメ寄りの『メイドインアビス』でキャラクターデザインと作画監督を務められています。こちらはどういう経緯でオファーがあったのですか。

黄瀬:
これは、コンペに勝つために「名前を貸してほしい」と頼まれたのがきっかけです。貸したら本当に勝ってしまったので、やらざるを得なくなりました。取ってしまった以上はやるしかないので、腹をくくって描きました。

瓶子:
小松田さんは何か印象はありますか。

小松田:
黄瀬さんのフィルモグラフィーを見ていると、作品や監督が求める方向に合わせて絵柄を変えていく柔軟さを強く感じます。リアリティが求められるならそこへ合わせにいくし、『メイドインアビス』のようなデフォルメでも、監督の意図に最も合う形を探っていく。リアルだけでなく、デフォルメキャラも描けるし、極端に頭身の高いキャラでも破綻させずに成立させる“画面の強さ”を持っているのだと思っています。頭身が高くても低くても、どんな作風でも画面を成立させていく力が、まるでブルドーザーのように全方位に対応していて、本当にすごいと感じます。

瓶子:
黄瀬さん的には、並行して違う作品の原画を引き受けることもあると思いますが、極端に違う絵柄が同時に来ても困惑しませんか。

黄瀬:
むしろ、そのくらい差があったほうが混乱しません。似たようなキャラクターが続けざまに来ると迷うので困ります。今はバラバラな絵柄のほうがやりやすいです。

瓶子:
小松田さんはどうですか。原画も描かれていますよね。

小松田:
私は得意不得意がはっきりしていて、神山さんのようなリアル寄りの絵は全然描けません。逆に『パンティ&ストッキング』みたいな強烈にデフォルメされたものは得意です。なので苦手そうだと感じたら、断ってしまうことも多いです。

CGが自由に絵を作るには

絵コンテセッション22

瓶子:
では、空間とパースのリアリティについて、ここは私の方から少し説明します。

絵コンテセッション23

たとえばCGだと、広角レンズを使った画面でもレンズのディストーションが生まれません。これは本来、レンズが厚みを持つことで中心から光が屈折し、歪みが出るという“欠陥”が作り出す味でもあるのですが、CGでは計算が正確すぎるため直線的なパースにしかならず、面白味が出ません。

その点について質問した時、黄瀬さんは「やる方法がある」「気にしなきゃいけないポイントがある」とお話しされていたと思います。絵として誇張すべきシルエットの話などもされていたので、もう一度説明していただけますか。

黄瀬:
魚眼レンズの表現を描くとき、実際に魚眼レンズを買って撮影して、どう歪むかを確認しています。ただ、正確に再現すると本当に形がおかしくなるんです。顔が凹んで見えたりしてしまう。そのまま描くと“気持ち悪い絵”になるので、どこかで嘘をつく必要があります。

出ているものは出ているように、丸いものは丸く見えるように描く。レンズ的には凹むはずの部分も、絵として違和感が出るならそう描きません。正解ではなく、“それっぽく見える嘘”をどこに置くかという作業をしています。

そのためには実際にレンズを覗いてみないと分かりません。望遠も同じで、望遠レンズを買って遠くの街を見ると圧縮感がどう作用しているのかが理解できます。一歩進んで「分からないことを調べに行く」ことをやれば良いのですが、今はそれをやる人が少なく、分からないまま放置されてしまう。それでは前に進めないと感じています。

瓶子:
今の世代はスマホで何でも撮れますし、YouTubeに映像も溢れているから、現地へ行かずとも事例を見られます。でも、やはり「自分の目で見る」ことが大事だという話ですね。

小松田:
最初にスタジオに入った頃、黄瀬さんのデスクの後ろに、黄瀬さんが自分で撮った写真のストックが大量にあって、レンズもたくさん転がっていました。劇場で広角が必要なときは、魚眼で試し撮りした写真が何十枚もあったりして、「欲しい画が明確にある」「魚眼の性質を理解した上で、自分の欲しい絵にどうアプローチするか」を研究されているんだと分かりました。

庵野さんも若い頃から大量の写真フィルムを撮っていて、その望遠の圧縮感などを体に蓄えていると言われますし、そういう“目と経験の蓄積”が絵に反映されているのだと思います。

絵コンテセッション24
絵コンテセッション25

瓶子:
この2つのカットを例にすると、CGをやっている立場から見て気になるのが、物を持っているキャラクターの手のサイズです。カメラに近い手と引きの位置にある手が、どちらも同じサイズに見えるようで、手描きでは“それが正解”として成立してしまうところです。

CGではキャラクターモデルが一つしかなく、基本プロップもリアルスケールで作っているので、アクションなどの特殊な演出以外で手のサイズを変えることはほぼありません。しかし手描きアニメーションの人たちは、リアルな物体がそこに存在するわけではないからこそ、意図して(あるいは無意識に)嘘をつきながら最適解に寄せていく。スマホが顔に近づくとやたら大きく見える現象も、CGだとそのままでは“合わない”のですが、手描きだと自然に調整されます。

極端な例だと、デフォルメされたキャラクターがリアルサイズの自転車に乗れない、というCGの問題があります。HOLiCのキャラのように頭身が極端な場合、市販の3Dモデルにどう合わせても座れない、位置が合わないなどの問題が生じます。劇場版HOLiCを拝見した時、レイアウトの切り方や“逃し方”が非常に上手くて、大変勉強になりました。

こうしたときに苦労されていることや、気をつけていることはありますか。

黄瀬:
HOLiCではありませんが、似たような頭身の作品で正座をするシーンがありました。後ろ脚をどう処理するか悩みました。横からのカットなら描けるのですが、前からだったので、なんとか畳んでごまかしました。

今はキャラクターを実寸サイズで描こうとする人が多いですが、昔は大きすぎるベッドだったり、空間に合わない家具が平気で描かれていました。ベッドの上にぽつんと人が寝ているような、ああいう感覚です。

瓶子:
それも、コンテでロングで全部を見せず、部分的なショットで切ったり、角度を横に寄せたりすると目立たなくなるのかもしれませんね。

黄瀬:
HOLiCの時は、あまり空間を立体的に捉えないようにしていました。浮世絵のように空間を潰して、平面構成として見せる。あのキャラクターたちにはその方がしっくり来るんです。

参考図書

黄瀬和哉アニメーション画集

絵コンテセッション26

瓶子:
参考図書ということで、私からは、今回たくさん使用させていただいたこの本、『黄瀬和哉アニメーション画集』を改めて紹介しておきます。Amazonで残り4冊だったものを私が1冊買ってしまったので、あと3冊です。入荷予定はあるそうなので無くなることは無いと思いますが、ほしい方はぜひ買って見てみてください。

機動警察パトレイバー2 the Movie Limited Edition / METHODS

絵コンテセッション27

小松田:
次に私ですが、『METHODS』はもう言わずもがなです。押井さんが描かれたコンテは、実物を見る機会が意外と少ないと思います。

また、パトレイバー1、パトレイバー2は昔のDVDにコンテ冊子が同梱されているものがあって、新品はもう売っていないんですが、フリマサイト、オークションサイト、Amazonの中古などを探せばまだ手に入ります。

一度押井さんのコンテを見ると、「この画面の設計図がこれなのか」と衝撃を受けると思います。そして『METHODS』を読むと「これを狙っていたんです」と書いてあるわけで、「本当に同じ人なのか?」と不思議な気持ちにもなると思います。

銀河鉄道999

絵コンテセッション28

瓶子:
黄瀬さんの参考作品として挙げているのは『劇場版 銀河鉄道999』ですが、どういうところがおすすめでしょうか。

黄瀬:
どういうところというより、何度見ても飽きない点が大きいです。本当に構成が綺麗にまとまっている作品で、当時は予算もそんなに多くなかったと思うのですが、ものすごく小さいフレームで丁寧に描かれています。それでも絵が綺麗で、今見てもほとんど違和感がありません。世界観も時代に左右されにくいので、未だによく見返しています。

自分がこの業界に入る原点に近い作品でもあるので、観て嫌な気持ちになることはまずないと思います。ぜひ観ていただきたい作品の一つです。

質疑応答

Q1. アニメ業界とは少し離れた業界にいるのですが、20代・30代の仕事への取り組み方や、こういうことを意識して生きると良い、といったお話をお聞きしてもよいでしょうか?

黄瀬:
こんな場で話す話ではないかもしれませんが、私は20歳の時に結婚していたので、20代は“食べていくこと”に必死でした。とにかく数をこなす、仕事を断らない、そういう時期でしたね。

当時はアニメアールにいて、周囲に天才的なアニメーターが何人もいました。本当に上手い人に囲まれていたので、いつも悔しい思いをしながら「追いつきたい、並びたい」と、とにかく必死にやっていた記憶があります。

30代は、どちらかというと惰性で仕事をしていた時期です。ちょっと調子に乗っていたところもあって、「何でもできる」と勝手に思い込んでいたところがありました。

今は60歳になりましたが、振り返ると今の方が勉強熱心ですし、新しいことに一生懸命取り組んでいる気がします。若い頃は足りないものが見えているけれど、30代に入るとある程度できるようになって慢心してしまう。そこでもう一段上を目指すとか、違う刺激を求める方が良かったのかもしれない、と今は思います。

だからこそ、「自分が興味を持ったこと」「わからないと思ったこと」は、積極的に調べたり経験したりした方がいいと思います。

Q2.お二人のように師弟関係を築くには、どうすればよいのでしょうか。私は好きなアニメーターさんに弟子入りをお願いしましたが断られてしまい、年齢差(20歳ほど)が原因ではないかと感じています。ヒントをいただけませんか?

小松田:
私は“師弟関係”という意識はあまりなくて、黄瀬さんには本当にお世話になったのですが、正直言うと黄瀬さんのスタジオでは芽が出ず、4年半ほどでフリーになってアイジーを出ました。

仕事の上では、黄瀬さんと対等にやれるレベルに全く達していませんでした。もちろんその後はいろいろな作品を経験しましたが、こうして今またお話しできているのは、ずっと密にやり取りしてきたからというわけではなくて、むしろ何年も連絡を取っていない時期もありました。今回あにつくに出てくださいと電話したのも20年ぶりくらいだと思います。

私にとって黄瀬さんは“大先輩で憧れの人”であって、若い頃からずっと一緒にいられたわけではありません。仕事でも、初期の頃に教えていただいただけで、その後は自分の得意な領域の現場に移っていきました。神山さんのようなリアル寄りの絵は全く描けなかったので、ギャグ表現の方が自分に向いていると感じ、『シャーマンキング』の現場などに行ったのもそのためです。

つまり、「しがみついて同じ場所にいること」が必ずしも師弟関係を作るわけではないんですよね。つかず離れずで、仕事も環境も変わりながら、それでも尊敬する先輩の言葉がずっと心に残っている。そして時が経ってまた自然に連絡を取り合える、そういう関係なのだと思います。

瓶子:
ここで黄瀬さんにお聞きしますが、「声をかけやすい後輩」にはどんな特徴がありますか?

黄瀬:
私は誰にでも声をかけます。相手が緊張するのは分かっているので、こちらから挨拶するようにしています。「弟子入りを断られた」と言っていましたが、多分年齢の問題ではありません。知ってほしいのは、教える側にも“怖さ”があるということです。自分のやっていることが正解とは限らない。だから人に教えたくない、という人もいます。

私も21~22歳の若い人の面倒を見ていますが、「なんでできないんだ?」と上から言いたくなる時があり、それがついつい口に出てしまいそうで怖いです。人に教えるというのは、その人のためを思いながらも、自分自身の足りない部分が見えてしまうので恐ろしいんです。

だから、年齢差が原因ではなく、教える側のそうした不安や恐れが理由だったのだと思います。

絵コンテセッション 会場風景03

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